- 流石に他人に寄り添わな過ぎだろ…と過去の記事を見て思った
- 自分の感覚を進展を何よりも優先するとそうなるけど、当時は別に他人に伝える気もあまりなかったってのもある
- 今は、大したものじゃないけど事業の進展について考えたりしているので、他人に何か話そうという気が発生しているっちゃあしている
何も知らんカラオケ奮闘記
5/24
- 整体で腹部の施術を受けたら体幹が強くなった(困惑)
- カラオケに行ったら、下方向の重さが分かるようになって、リズムが取れるようになった。声も出やすくなった
- カラオケは完成度を求めようとなって、どこに個性をつけるか?みたいなフェーズとなった。
夢とかサイケとか、都立図書館で読んだ本
都立図書館で読んだ本まとめ
夢の現象学入門 渡辺恒夫 2014
- 現象学は思想哲学の中では好感がある方だったのだけど、改めて読んでみて真実〜と思った。(体験重視、イイネ!)
- 解説部分はいいんだけど、モデル図化すると余計わかりにくくならん?と思った。一般化しなきゃならんのってたいへんだ
インド医学概論 矢野道雄 1988
- 「マジ」の本だから感想がない
声明の研究 岩原諦信 1997
- 「マジ」の本だから感想がない
チャラカ本集総論編 日本アーユルヴェーダ学会 2011
- わかりやすい
サイケデリックスと文化: 臨床とフィールドから 武井 秀夫 2002
- サイケ研究って最近盛り上がってない(?)のなんで?
その他にも色々読んだけど近所の図書館にありそうだったから途中でやめた。
本当に知りたいことって教えてくれる人いないから楽できねぇ〜と思った。
診断がつくこと、病はなんのためにある
- 一昨年の年末、ある難病の診断がついた。
- この診断は私ではなく、周囲の人達や社会のためにあるのだろうとなんとなく感じた。
- 診断は、当事者以外がその当事者を理解するためにあるのだなあ
- であれば、病というのは、病それ自体に本質があるのではなく、その人のあらわれとしてあるのだろうな
シラットとか物事の上達とか
- 物事の上達について、シラットの経験から語るテスト。
- シラットの型を教わる。(昨日のブログ参照)→型を真似ることはできるが、できている感覚にならない
- 「できていない気持ち悪い感覚」がどこに起因するかを探る。→「左右斜め後ろ」と特定する
- 特定した位置に意識を入れる
- シラットの型が繰り出せるようになっている
- 意識を入れるには、ただ意識をするだけでよいのだけれど、ワークを使ってよりその精度を高めることができる
- 理論上、これと同じ手法によってできないことをできるようにすることが可能になるだろう
睡眠姦とか性行為とか、物理以外のバフとか
- 睡眠姦をやってみた(事前合意あり)
- 会話や非言語コミュニケーションがないので、身体への刺激の入り方や、刺激による身体の変化がかなりクリアに理解できた
- 自分の身体もそうだけれど、相手の身体についてもかなり理解できた
- 普通の性行為では、意志や目的が混じるので、純粋な身体反応を感じ取ることが難しいだろう
- 純粋な身体反応には射精の意志やオーガズムの目的はなく、ただ相手の身体に反応する中で、身体が動き、身体の動きの中で、快感が自然に得られていく
- そこでの快感は、普通の性行為の中で感じられるものとはまた別種のものだろう
シラットとか武術とか、あと健康とか
- シラット(インドネシア武術)の一番簡単な型を教わった
- 武術の型って、その技や武術体系に流れる意識型を身体にインストールするものなのだな〜と思った。
- なので、武術は「殺人の練習を、人を殺さずにやる場」のではなく、意識体系のインストールが目的なんだと言えそうだと思った。(という意味では勝敗が目的化しているスポーツではなく、茶道に近いんだろう)